またまた時かけについて

http://d.hatena.ne.jp/koseki/20060903/tokikake

スクールカーストの頂点に立つ3人組が、クラスメイトに同情をかけたり、
かけなかったりしつつ、観客の目を十分に意識したキャッチボールを演じてみせる、
やらしい映画だった。

という意見がありました。それに対して、

http://d.hatena.ne.jp/yskszk/20060918#p1

先日の「『時をかける少女』を語る会」では、
「主人公の三人組はほかに友達のいなそうな、クラス内では浮いている存在なのでは」
という意見が主流だった。


という認識もあったようで。どっちなんでしょうね。
僕としては、前者の意見に近かったですね。時かけを見た最初の感じは
「あ、この三人組は窓際の後ろのほうの席でいつも楽しくだべってんだろうな」
だったんですが・・・。実際そうでしたよね?


で、僕が思うに、多分見えているものは両者とも同じだと思うんです。
だけど、それぞれの「クラスの中心」についての価値観に少しズレがあるから
こういう風に一見違った認識になるんだと思う。


前者の意見は、恐らく「窓際の後ろの席でだべる」ことに価値を見出していたタイプが持つ意見です。
僕もそうですけど、学生のときに、あの三人組のようなポジションに入ることを渇望していたけど、
いろいろな障害があり結局出来なかった人なのではないでしょうか。


それに対して後者の意見は、元々そういう人たちをうらやましいと思ったことが無い人か、
クラスの中心などと不毛なことはそもそも考えない人なのか、
それか自分たちが現にそういうグループに属していた人たちが持つ意見じゃないでしょうか。


もっと言えば、「スクールカーストの頂点であるがゆえに孤独である」
という認識であれば、この二つの意見は同じ事実を異なる側面から
見た意見であると言えるとおもいます。


クラスで一番風穴が開いてて清々しいポジションにいたいのか、
それとも身分相応のポジションでもハブられないほうが幸せだと感じるのか。


ここら辺はもう価値観というよりその人の本能のような部分に
拠るところがあるのかも知れませんね・・・