もう少し斑目について


げんしけん32話、寿司を食う話で、斑目が、咲ちゃんの
最近ゲームをやっているという発言にショックを受けたのは、
何も単に壁が全部取っ払われたからだけではありません。
今まで太陽だと思っていた咲ちゃんの内面を垣間見てしまったからです。


太陽のような女性という言葉がよく使われたりしますが、
それはどういう意味かというと、自分の足で、そこにしっかりと立っていて、
その人自身の求心力が強く、輝いて見える人のことです。


斑目は、咲ちゃんのことを(太陽のような人)だと思っていたんです。
別の星の人といっていましたが、別の星とは、つまり太陽のことです。


斑目は、大野さんや笹原妹や荻上さんの会話で、「総受け」と
言われていますよね。「マゾラメ」とも言われていましたっけ・・・。


つまり斑目は、端的に言えばドMなんです。太陽に対して自分は宇宙人として
周りをグルグル回っていられれば幸せだったのです。


でも、あの咲ちゃんの発言は何かというと、どんなときでも、彼氏の前だって
しっかりとした自己のある、太陽でい続けているのだろうと思っていた
斑目に、実は咲ちゃんは惚れた男に対してはドMだということを
凄まじい衝撃と共に実感させた言葉なんです。


斑目は、別に咲ちゃんに彼氏がいようがいまいが、太陽である咲ちゃんが
そこにいれば見てるだけで良かったんです。太陽のすることは何でも
許せたんです。だけど、咲ちゃんのドMな姿だけは想像したくも
なかったんです。斑目もドMだから、咲ちゃんがどういう風に
コーサカを好きなのかが痛いほどわかってしまった。


咲ちゃんはコーサカの前では、コーサカをグルグル回る月なんだという
ことがわかってしまった。
コーサカみたいなドSうんこ野郎(斑目の主観!)にいじめられて喜んでいる、
コーサカに影響を受け、努力して変わって行っている咲ちゃんを
直視してしまった。その堪えられない苦痛から逃れるために、


咲ちゃんはコーサカの月ではなく、斑目にとっての太陽であって
欲しいがために、自分にとっての太陽を取り戻すために、
斑目はあの時、男になる決意をしたのです・・・。



(太陽でいてほしかった人が好きな人の前ではドMだった)
ということ、これが、男でも女でもドMな人にとっての、
最大の悲劇なのです。



ジョージ朝倉さんの「溺れるナイフ」も、多分女性から見た
こういう話になるんじゃないかなあと期待しているのですが、
どうでしょうかね・・・。


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